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台所サロン・雑感

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2011年新年号

  謹んで新年のお慶びを申し上げます

      輝かしい年頭にあたり皆々様の
         ご多幸を心からお祈り申し上げます

                  平成23年元旦

                   賢和会「男の台所」
                    主宰 安 海   賢 

 
 私は俳句をすこし詠むので、歳時記を暇を見つけては取り出して読むのが楽しみです。
 俳人の加藤楸邨は歳時記について次のように言っています。
 歳時記はそこにあるままでは眠っている季語の集まりだといってよい。ところが同じ一つの季語でも悲しみを持つ人が触れると、悲しみをもってめざめてくる。よろこびを持つ人が触れるとよろこびをもってめざめてくる。と

 男の台所の多くの皆さんは「おせち」を作ったという人が多いことと思います。食べる側から作る側にまわるとお正月のこと、父母のこと、ふるさとのこと、兄弟のことなどいろいろとこれまでと違ったことを思い出されたことでしょう。

 歳時記の中から新年の食べ物に関する句を選んでみました。新年の季語と「おせち」体験と重ねて合わせていただき、これからの人生への新たな糧を見つけていただければ嬉しいです。

 
 ・春立つや新年古き米五升  松尾  芭蕉
 ・金柑の甘さとろりと年迎ふ  鈴木真砂女
 ・正月や夜の食器は灯の下に  細見 綾子
 ・食積の残り四五日続きけり  皆川 白陀
          (喰積=もてなし用の重詰料理)  
 ・数の子やさくら色なる花がつを  石井 花紅
 ・ほぐれたる一つも結昆布かな  山崎ひさを
 ・噛み噛むや歯切れこまかにごまめの香  松根東洋城
 ・齢重ねなほ田作りのほろ苦き  鷹野 
 ・笑ふこと多き年酒の揺れどほし  長谷川秋子
 ・年酒くむみな一病を負ふ齢  本多 静江
 ・今年から夫婦つきりの雑煮かな  松尾 春鈴
 ・生き鯵をたたき包丁始めとす  小沢 幸子
 ・つぎつぎに子等家を去り鏡餅  加藤 楸邨
 ・ふるさとの花の干菓子や初茶の湯  村山 古郷

 

第 1 号
  
◎待望の賢和会「台所サロン」が遂にオープン! 


「男の台所」はこれまで約
300名(16期)の高齢社会に対応できる男性を輩出してきた。このOBの交流の場としてこれまでアエル29階のブースが主にその役割を果たしてきた。しかし、早いものでブースは仙台市との契約期間の3年がこの4月末で満了することになったので、これからの活動拠点である本部を拙宅に置くことに決めて、4月29日多くのOBのお手伝いで無事に引越しを完了することができた。

 新しい活動拠点である本部のお披露目とOBの交流の場としての賢和会「 台所サロン 」を515日にオープンすることができた。運営は1期生の佐藤春男さんを代表幹事に、安海信幸さん、4期の高橋忠世さん、長岡信さん、5期の佐々木利平さん、芋沢正四郎さん、安海賢が幹事としてスタートした。
 519日の河北新報社の夕刊トップに「台所サロン」の紹介記事が掲載され、また529日には東北放送のラジオカーの来訪があり「ロジャー大葉のラジオな気分:1330頃」台所サロンに集った6名が生放送でインタビューを受けた。





ラジオ生放送のあとアナウンサーを囲んで記念撮影 
 
 メィデアに登場した効果が出て、OB以外の一般の男女も参加してくれている。台所のモットーは「喫茶去:きっさこ」である。運営幹事会の共通の認識である「喫茶去」とは「お茶でも召し上がれ」という意であるが、もともとは「禅の思想」である。表面的なお茶にとらわれてしまうと解釈を誤ることになるかも知れません。
(以下は松原泰道大僧正(100歳を越えて現役)の説話より:抜粋=独断)
 中国の唐の時代、禅僧・趙州和尚のもとに、一人の修行僧が教えを請いにやってきました。趙州和尚が、「あなたはここへ初めて来たのか?」と問うと、僧は答えて「初めてまいりました」すると趙州和尚は言いました。「喫茶去」。趙州和尚は、別の訪問僧にも同じことを尋ねました。その僧は、「いえ、以前にも伺ったことがあります」と答えたが、趙州和尚は同様に勧めます。「喫茶去」と。
 このやり取りを見て、不思議に思った寺の住職が趙州和尚に尋ねます。「老師は始めて来た人にも、以前来たことがある人にも、同じに『喫茶去』と言われました。これはどういうわけですか」すると趙州和尚はまたしても、「喫茶去」と答えたのでした。
 趙州和尚は、ここへ初めて来たのか、以前ここへ来たことがあるのかと、未来でも過去でもない「いま、ここ」を問題にしているのです。「いま、ここでお茶を召し上がれ」と。
 お茶を飲むことは日常ありふれた行為です。しかしその日常の行為が、実は禅そのものなのです。お茶を飲むことだけではありません。ご飯を食べること、衣服を着ること、そうした日常の全てがそのまま「禅」なのです。
 

 多忙な現代人は、食事もお茶も、他のことをしながらいただいて「ながら族」になりがちです。しかし、何事も「ながら族」ではいけません。お茶を飲む時はお茶を飲むことだけに徹する。ご飯を食べる時も、衣服を着る時も、ただそのこと一つに徹してすることによって、人生の受け止め方も違ってくる。喫茶去とは、そのことを説いているのです。


台所サロンの会場にかけている
「喫茶去:きっさこ」の掛け軸

 私たちも虚心坦懐に胸襟を開いて、今を大事にしてお茶を通して人と人との触れ合うことに全力を傾注することによって、相手を思いやる気持ちや幸せを念じる心を持ち合いながらお茶を楽しみたいと思っています。また、出会った皆様と生きていることの素晴らしさを共感できるような活動をも展開できればと思っております。
OBの皆さまにはお誘いあわせの上、賑々しくお茶を飲みにきてください。お待ちいたしております。

「男の台所」HP リンク資料  資料提供:安海 賢 
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第 2 号 
 
◎賢和会「台所サロン」!!77回・延べ540人の賑わい
 
 平成
21年の515日「台所サロン」の開始以来、2211月末で77回延べ540人の皆さまがお茶を飲んでいってくださいました。これも偏にサロン代表幹事の佐藤春男さんはじめ幹事の皆さま、遊びにきていただいた多くの皆さまのおかげさまでございます。
改めて厚くお礼を申し上げます。
「台所サロン」のモットーは「喫茶去」です。「喫茶去」とは「お茶でも召し上がれ」という意味ですが、もともとは「禅の思想」です。

 ご縁があって出会った皆さんと虚心坦懐に胸襟を開き、相手を思いやる気持ちや幸せを念じる心を持ち合いながらお茶を喫して楽しむこと。また、お互いに生きていることの素晴らしさを実感してもらえるようにと心がけて運営をしてまいりました。
 発足当初は平均して15~6人程の集まりでしたが、最近では815人程までになって大分賑やかになってきました。

 当日の運営については、午前中の話題は特に決めてはいませんが、その時々の身辺のことについてお互いに自分ごととして話し合いをしています。その方向性はよい生き方(死に方)がテーマです。それは高齢社会1期生としての責務であるという「男の台所」のテーマの具現化です。これまでのサロン運営を振り返りますと、高齢者のことは高齢者がまず相互扶助できる環境整備のためのビジョンを提示する話し合いを重ねてきたようにも思います。近い将来「助け合いネットワーク」を構築することが課題であることも参加者で確認できつつあります。

 また、楽しみの昼食は男の台所ならではの自由さが魅力です。直近の11/26は「大どんこ」(全長50cm:金華山沖)が釣れたのでと持参。「ぬた」+「アラ汁」+「新そば:手打」+「プンタレッラ:自家栽培」などのサラダ+向かいの家(和歌山出身)提供の「みかん」という奇妙な組合せの献立を調理してのご馳走でした。毎回このような豪華版ではなく差し入れが皆無の時は、コンビニから「おにぎり」+家主からの「大根+人参」の糠漬けで済ますこともOKです。毎回出たとこ勝負というスリルがまた楽しみでもあります。

家主宅の台所は家族のように隅々まで熟知しているメンバーが、それぞれの守備範囲を志願して和気藹々楽しんで動く、しかもそこにそれぞれの個性が出て見事なまでのハーモニーになって料理が出来上がる。狭い台所にも拘らずチームワークが狭さを感じさせない。これも料理力だなーと感心しています。

 これは77回の積み重ねの賜物ですね。このようなお互いのできることをできる範囲で力を合わせていく営みが21世紀型の新しい「コミュニティ」に道をつけていくヒントのようにも感じられます。私は未来への期待感で幸せな気分になり嬉しくなってくるのです。 

       
  色とりどりの野菜の食材はカラフルなサラダに変身

 
 楽しく、おいしく頂く台所サロンのメンバー


「男の台所」HP リンク資料  資料提供:安海 賢 
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 第 3 号


昭和16128日のこと・・・


平成22128日(水)

私にとっても128日は忘れられない特別な日なのである。70年前の1941128日、日本のハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった。

当時私は尋常小学校1年生であった。全校集会で校長先生から開戦のこと、小国民(第二次大戦中の年少の国民のこと)としての心得を訓示された。子ども心にも容易ならざる事態に突入していく戦慄を、朝の寒さとともに今でも感覚的に甦る。

その後尋常小学校から国民小学校に教育体制が変わり、6年生の夏休みの1945815日正午天皇陛下の「玉音放送」によって敗戦を知ることになる。

私は翌年旧制中学校の最後の入学生となる。1947年の学校教育法施行により「六三三四制」がスタートし、一年下の後輩は「新制中学校」に入学することになった。私たちは自動的に4年間最下級生として上級生に奉仕することになるのである。

このように人格形成期を歴史的な激動の中でおくることになった私たち年代が、現在「高齢社会1期生」として、またしても歴史的な超高齢社会の渦中に身をおくことになったことにある種の運命的なものを感じるのである。

私的には激動の渦中に身を置いたことを「不運」と捉えるのではなく、不謹慎ではあるがむしろ「幸運な人生」であったと振り返ることができる。つまりわが人生は歴史の証人として、ありのままに当時の庶民の生活を後代に伝えていく伝道師としての役割と、これから立ち向かう“超高齢化社会“の開拓者としての役割の二つの役目があると思っているからである。

2010815 詠む

        ・少年の鉱石ラジオ終戦日      

           ・終戦日その後のことを語ろうや  賢 
 寄稿:安海 賢 
 
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 第 4 号

平成221222日(水)

昨日から季節はずれの暴風雨である。昨夜は3年ぶりの「月食」が見られず、また犬の散歩もできないなどストレスが充満して爆発寸前に達してきている。特に我が家の柴の翔太君は「雷」が大嫌いである。雷光と雷鳴に怯えながらも吠えるのが常である。しかしあまりの大風雨に恐れ吠えるどころではないらしく、玄関に避難中である。

県内の公立学校では今日が「終業式」であるが、一部の学校では明日に変更したとテレビが伝えている。

 暦では今日は「冬至」である。冬至は冬の入れ口である。この低気圧が去ると北の方から大陸性の高気圧が寒波を引き連れてくるサインでもある。今年も本格的な「クリスマス寒波」が到来しそうな気圧配置である。

 冬至といえば俳句では冬の季語である。冬至を冠した季語はいろいろあるので列挙してみよう。お馴染の時候の「冬至」、行事では「冬至南瓜」「冬至粥」「冬至蒟蒻」「冬至風呂」

「冬至餅」「冬至湯」などがある。

 時候の「冬至」は昼間の時間の最も短い日である。この日を境にまた日が長くなってくるところから「一陽来復」ともいう。また、冬至の頃は実際に寒気の厳しくなり出す季でもあるので「冬至冬なか冬はじめ」と言ったりもする。この日、「粥」「南瓜」「蒟蒻」などを食べる習慣がある。

 わが家では「冬至南瓜」と「柚子湯」が定番なのだが、老いと天気には逆らえないので明日に延期することにした。冬至には南瓜を食べたり、柚子を湯に浮かべた湯に入る習慣があり、万病を防ぐといわれる。いつごろからのものかは定かでないが、江戸時代の銭湯ではすでに柚子湯が行われていたようである。丁子湯・桃葉湯・菖蒲湯などと同様の薬効を期待し、同時に新たな威力を身に付ける「禊:みそぎ」の意味も込められているようである。年の瀬の庶民の一つのささやかな行事として今日でも生きているのである。

 母在りき冬至もつとも輝きて    三橋 鷹女

 冬至粥土鍋の蓋のことことす    小野内泉雨

 金溜まることに縁なき柚子湯かな  鈴木真砂女

 雑炊や一病いよいよ大切に        安 海  賢 
寄稿:安海 賢 
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 第 5 号

 平成23年1月3日

 ごまめ・田作り・・・五万米・小殿原(こでんはら):おせち=祝い肴 について
 
 お節料理に欠かせない一品が「田作り」である。ヒシコ(カタクチイワシの幼魚)はその昔農家が「田植え祝い」の祝い膳に用いたとか・田んぼの肥料にしたので「田作り」などの説がある。ごまめの音は、魚体が小さいのに因んだ細群(こまむれ)、あるいは御真実(ごまめ)から来たとされている。

田作りの役割と関係して、カタクチイワシを肥料にしたところ、米が五万俵もとれたので「五万米」の字が当てられることもある。また、武家では「子殿原」と呼んだ。小さいながらも尾頭があるので、めでたいとされたのであろう。

 正月にお節料理に田作りが添えられるのは、農業がわが国に主要産業だった時代に、新年に当たって「豊作」を祈ったことからきた習慣と考えられる。

 お祝いに欠かせない目出い魚は「鯛」である。本来、鯛を丸ごと祝い膳に盛り付けるのが「尾頭つき」で最上級であるが、ごまめは鯛に比べれば、姿かたちは決して立派なものではないが、何より大きさは比較にならないくらいに小さい。けれども、たとえ小さくても、頭も尾もついていることから、「ごまめでも尾頭つき」という言葉があるくらい庶民の味方である。

また、栄養的には100g当たりカルシウム2.500mg・亜鉛・ビタミンB6.12も多い栄養食品でもある。

 お正月の祝い肴は、関東では「黒豆」「数の子」「ごまめ」、関西では「黒豆」「数の子」「たたきごぼう」が一般的である。

 日本人はカタクチイワシを、煮干・たたみいわしとして利用し広く親しんでいる。南米ペルーの沖合で大量に獲れる「アンチョビー」もこの仲間である。みりん干し、目刺し、煮干など利用の範囲が広く、食卓に欠かさない食材である。
 

 
 ・噛み噛むや歯切れこまかにごまめの香  松根東洋城
 ・自嘲して五万米の歯ぎしりといふ言葉  富安 風生
 ・齢重ねなお田作りのほろ苦き  鷹野  
 ・酒飲みは田作りばかり喰ひにけり  平本 菽水
 ・田作りを少し焦がしてしまひけり  安海 
寄稿:安海 賢 
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 第 6 号

平成23年1月7日(金)
 
 1月 7日(金):「台所サロン」の新年会は「七草粥」を参加12名全員で、作って楽しみながらスタートした。一つ目の鍋は伝統的な七草粥を土鍋で塩味仕立て。二つ目の鍋は「餅入り」バージョン。味は鶏肉ベースのコンソメ味に青味であった。
 また、デザートは4期生青葉教場の船山君手作りの「チーズケーキ」の試食であった。

 七日(なぬか)は正月七日の略である。七種(ななくさ)の日である。七種はもともと宮中で、京洛周辺の七つの野から摘んで来た「野草」を「粥」に加えて祝った行事から一般に普及したものであると「歳時記」にある。

 これにも地方色があるようで「雑炊」であり「雑煮」であったりする。「菜」は六日の晩に「俎板」の上で叩くが、そのとき「七種なずな唐土の鳥が日本の土地に渡らぬさきに七草なずな」といってはやした。もとは「鳥追いの文句」であったそうな。

 春の七種は芹(せり)・薺(なずな)・五行(ごぎょう)・蘩萋(はこべら)・仏の座・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)である。 

 ・七草の粥のあをみやいさぎよき  松瀬 青々
 ・ことことと老の打出す薺かな  村上 鬼城
 ・はづかしき朝寝の薺はやしけり  高橋淡路女
 ・七日粥きのふは妻の生きてゐし  佐藤をさむ
 ・妻の耳わが耳遠し七日粥  樋口ただし

 「お粥」のお話です。皆さんは「粥の十徳」はご存知であろうか。禅寺では昔から「かゆに十徳」ありといわれている。その十徳とは次のようなものである。

 1. 血行をよくする 2. 体力をつける 3. 寿命を延ばす 4. 体が楽になる 5. 消化によい 6. 弁舌が流暢になる 7. 風邪を引かない 8. 空腹をいやす 9. のどの渇きをいやす 10. 大小便の通じを整えるである 

 そもそもこれの十徳はお釈迦さまが説かれた「お粥の功徳」であるとか。また、「粥」は”妙薬”と名づけたとも言われている。胃腸に負担のかからない体にやさしい思いやりの料理である。「正月メタボ」になった体調をととのえるためのも良いと思いますよ・・!

◎俎始(まないたはじめ)または「庖丁始」

 正月三ヶ日は、暮れのうちに用意したお節料理で食事をすませ、炊事を避けて一家揃って正月を祝い、寛ぐ習慣がある。しかしそれも心積りで、台所をあずかる女性は厨にたつことになる。新しく買い求めた俎、庖丁で炊事をはじめなければならない。新年になってはじめて俎を使い、庖丁を使うことを、俎始・庖丁始といった。

 ・山菜の瑞を俎始かな  上田五千石
 ・柚子刻むだけの俎初めかな  柄沢ひさを
 ・生き鯵をたたき包丁始めとす  小沢 幸子
 
寄稿:安海 賢 
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